アイルトン・セナが死んだイモラでの初グランプリ撮影・F1の始まり

  • 2022/04/10
  • F1
Sebastian Vettel

前回の投稿ではF1バルセロナ・テストの様子を書きました。

今回は今月に行く今年第4戦、イタリア・グランプリと、軽いF1の歴史を書こうと思います。

 

写真は今週コロナから回復したアストン・マーチンのセバスチャン・ベッテル。

 

F1の始まり

F1の始まりですが、1950年のイギリス・グランプリが初めてです。

1906 年にフランスで初めて四輪自動車の『グランプリ』というものが行われ、第二次世界大戦が始まるまでは世界各国でそれぞれグランプリがありました。

 

世界大戦前にはアドルフ・ヒトラーも支援していたメルセデス、エンゾォ・フェラーリ率いるフェラーリなどの強豪が集まり、1949年、「各国の強いチームを集めて、世界周って最強決めね?」というところから、1950年、イギリスを開幕戦としてF1が始まりました。

 

現在は安全性はもちろん、ルールも整備されたF1は1チームドライバーが2人、合計10チーム20人で戦うレースですが、昔は鬼軍曹エンゾォ・フェラーリ率いるフェラーリなどは世界トップのドライバー4人(昔はドライバーが多かった)を全員確保しての独走体制の結果、『全員が一度は世界チャンピオンになり全員死ぬ』という壮絶なものだったり、ル・マンというレースでは1955年、事故で観客80人死亡、180人負傷という大惨事にも関わらず、レースはそのまま続行するほどのイカれぶりでした。

因みにF1でシートベルトが登場し義務化されたのは1972年、始まりから20年以上経つ70年代でも12人のドライバーが死んでいます。

 

この1955年の事故を引き起こしたのはメルセデスの車で、この一戦以降は40年近くレースから退き、90年代でのF1復帰を視野に入れ会社が起こした最初の行動が、同じドイツ人ドライバーの若手育成プログラムで、その中にはマイケル・シューマッハがいました。

 

F1は会社や国の歴史を見てもとても面白く、社会情勢なども関わってきます。

昔世界のトップ企業50に日本の企業が半分以上入っていた時代は、チャンピオンになったドライバーの帽子には「MILD SEVEN」のロゴがあり、セナとプロストが走っていたのもホンダのエンジン、カメラメーカー「キャノン」の名前が車のウィングに入っていた時代もありましたが、日本企業の衰退と共にF1人気も日本では衰退してしまいました。

「週刊少年ジャンプ」がF1のスポンサーをしていた時代すらあり、こういう側面も面白いところです。

 

第4戦イタリアン・グランプリ開催地、イモラ

第3戦オーストラリア・グランプリがフェラーリの圧勝で終わり、次回は第4戦でF1がヨーロッパに帰ってきます。

 

F1のシーズンというのは前半戦・後半戦に分かれており、途中で夏休みがあるのですが、毎年車は変わるのでまず前半戦の本当に最初は「前年にどれだけ車の開発に成功したか」が結果に現れます。

 

例えば今年の後半に差し掛かる頃に、もう良い成績が残せない事が確実になったチームはそれ以上車を改良するよりも来年のシーズンに向けて他のチームよりも早く開発を始めます。

一方で、今年最後まで優勝争いをするようなチームはシーズン最後まで車を全力で仕上げに来るので来年の開発が遅れるような事が起きたりするのですが、これが現在低迷しているルイス・ハミルトンのいるメルセデスです。

 

フェラーリは良い車を作る事が出来て最高のシーズンの始まりを迎えた一方、去年シーズンの最後まで競い合ったメルセデスとレッドブルは両チームとも車の改良に苦しんでいますが、ここからシーズンが進むにつれて開発も進みどんどんレースが面白くなるんですね。

 

今年23戦・21カ国を巡るグランプリは『F1サーカス』と言われておりエンターテイメントの充実が半端じゃなく、去年の最終戦のライブ・パフォーマーは先日ドラマーが死んだFoo Fighters、今年の開幕戦はBlack Eyed Peasで、今年イギリスグランプリはBastilleの出演が決まっており、フジロックの最終日メインステージを張れるバンドが出演しますがこれが催し物です。

勝手に日本グランプリは音楽の催し物は無いのではないか、と想像していますがF1のグランプリでJ-POPをライブでやるのは避けて欲しいですね。

 

まずグランプリの始まりですが、放送ではこちらの40秒のオープニング映像が流れます。

 

この後に「ようこそ、イタリアン・グランプリへ!!」と高いテンションで始まるのですが、「ここは○○があったグランプリ」という感じでどこのサーキットも逸話があるのが常で、このイモラは昔は「サンマリノ・グランプリ」と呼ばれていてアイルトン・セナが死んだサーキットというので有名です。

サーキット周りの森の中にセナの銅像があるらしいのでそれを探しに行くのも楽しみの一つ。

 

当然行くのは初めてなので、サーキットの地形や周りに何があるのか、太陽の通る位置やギネスの飲めるパブなどを調べているところです。

 

サーキット近くのホテルは全て満室、奇跡的に空いていても通常の数倍するため(フライトはまだマシ)、僕のようなフォトグラファーは車で少々離れた街の宿を取ります。

 

このイモラ・サーキットは珍しく街の隣にあり(ほとんどは街から結構離れています)、サーキットの収容人数は78000人、イモラの人口は70000人です、宿があるはずがありません。

 

このサーキットは物凄く人気のあるグランプリ、という訳ではありませんがここでも高いチケットは100万円ほどになっており、これがダフややネット転売ではなく正規の値段なので裏ではいくらするのだろう?と想像しまいますね。

 

まだグランプリがどんな感じなのか想像の域を出ませんが気合いを入れて撮影するのはもちろん、ハメを外し過ぎず楽しんで次回はイモラの様子を書こうと思います。

 

お付き合いありがとうございました

 

Jay