3年前のグレンフェル・タワー全焼事件とブラック・ライブス・マター

火災で燃えた後のグレンフェル・タワー

43回目の投稿になります。

 

 

写真はグレンフェル・タワーという僕の家から5分くらいのところにある、3年前に全焼し120人以上が亡くなった貧困層が住んでいたタワーブロックです。

 

THE MIGHTY DIAMONDS/I NEED A ROOF

 

グレンフェル・タワー火災

 

今のコロナが蔓延している世界の状況を見ると「死者120人以上」と自分自身で書いてみても「大した数じゃないんじゃないか」と一瞬思ってしまうのがすでに僕の感覚が狂ってきているという証拠だと思います。

 

グレンフェル・タワーの改装時に自治体が安全基準を満たしていない資材の使用を工費を抑えるために許可し、火は消し止められるどころか燃え広がるのを助け、スプリンクラーは一つも作動しませんでした。

 

真夜中にサムソンの冷蔵庫から出火し、消化活動には200人の消防隊員が24時間以上を費やしました。

昼過ぎからはずっと夜中まで煙が立ち昇っていましたが凄まじい光景でした。

この後イギリス全土のタワーブロックを調査したところ数百棟の建物が安全基準を満たしていないことが判明し現在も修復は終わっていません。

 

英語すら話せない移民も多く、助けも行き届かずカウンシルに対して怒る住人、それをサポートする地元民、警察、メディアでこのエリアは1ヶ月ほどいつ暴動が起きてもおかしくない異様な雰囲気に包まれていました。

イスラム系住人が多数だったこともあり、建物内の「祈りの部屋」で60人以上が祈りながら焼死しており、焼失された158世帯の中で死者が120人というのは誰も信じていませんでした。

ほとんどの死体は完全に焼け焦げ歯しか残っていなかったそうです。

 

ポジティブなことが生まれたのも間違いなく、皆がそれぞれに少し親切になり(僕も2週間ほどチャリティー活動をしました)、僕のよく行くバーではポール・ウェラーがチャリーティー・ライブをやりました。

158世帯のためにイギリス全土から救援物資が来たため、物資は余りに余り、地元民だと証明すると「余っている物質をもらい放題」という謎の現象が起こり僕の友人の一人は毎日バックパックを持って通っていました(笑)

当時の首相テレサ・メイが地域を訪れただけで被害者とは顔も合わせずに警察とメディアとだけ話をして帰った事でさらに反感を買い、このエリアが初めて保守党から当時ジェレミー・コービン率いる労働党に統治権が移りました(現在はまた保守党に戻ってしまいましたが・・・・)。

それでも、「少数のためではなく多数のために」「金持ちのためではなく貧困層のために」「権力のためではなく平等のために」と中流階級の人たちまでもの考えを変えた事件になったのは間違いありませんでした。

この様なセリフは「貧困層からの叫び」という風がどうしてもありましたが今ではそうではありません。

BLACK  LIVES  MATTER

 

低所得者、黒人の命が軽視されている象徴として、今回のジョージ・フォイド殺害で起こった暴動と関係付けられデモがロンドンデモ起こっています。

 

トラファルガー・スクエアからグレンフェル・タワーまで日曜にデモ行進があった様なのですが、大きいのをハイド・パークという公園で水曜日にやるらしいので行ってみようかと思います。

グレンフェル・タワーでも亡くなったほぼ全てが黒人だったため誰もがBLACK LIVES MATTERと訴えていたのを覚えています。

7、8年くらい前は「お前らさ、世界にはまるで白人と黒人しかいない様に話している様に話してんじゃねーよ、黒人が俺たちにする差別はどうなんだ?中国人は?タイは?パキスタン人の事馬鹿にしてるよな?」と突っかかっていったこともありました。

 

前回の記事に黒人と白人間の差別問題、僕自身経験した差別について書きましたが、差別の根深さがわかった今は「黒人に対する差別がなくなれば、色付きの人種に対する差別がなくなる」と信じてみることにしました。

BLACK LIVES MATTERについては長く続いてきた問題ですし、いくらでも調べられるので是非調べて見て下さい。

 

昨日はロックダウン後初めてのライブをしてきました。

HS2という、ブライトンからバーミンガムまで高速道路を通すという工事で森を破壊する、という政府の違法計画に抗議していた活動家たちの運動もロックダウンで忘れられてしまいました。

 

屈強な元軍人たちが目を光らせていました。

 

絶対に顔を撮らないことを条件に撮影させてもらったので彼らのキャンプの様子を次回は載せようと思います。

 

ONE LOVE.

 

Jay