94回目の投稿になります。
不正選挙が相次ぐ中でウガンダの大統領選挙が終わりましたが、コロナコロナとうるさい世の中で僕はタイ王室問題、香港問題、ウガンダ大統領選などの方が遥かに目を向けられるべき問題だと思って見ていました。
BOB MARLEY & THE WAILERS/ EXODUS
ボブ・マーリーがなぜこれほど愛されているのか
70年代ジャマイカにはPeople’s National Party(人民国家党)とJamaican Labour Party(ジャマイカ労働党)という2大政党があり(黒人が99%の国でリーダーが白人というのも皮肉な話ですが・・・)、ジャマイカの首相はPNPのマイケル・マンリーという人で、野党同様当然ギャングを傘下に収めていました。
ボブ・マーリーが「スマイル・ジャマイカ」という無料コンサートを開催するのを発表した時、「JPLはボブがPNPを支持していると信じボブを暗殺しようと銃撃をした」というのが定説ですが僕のバーの周りでは「JPLに汚名を着せるために本当はPNPがボブを殺そうとした」ともうドロドロな話も聞きましたが真相はわかりません。
当時からJPLのリーダーたちが「俺たちじゃない」と言っている事からも僕は実はPNPなんじゃないかと思っていますが。
ボブは周りにコンサートをやめろ、引っ越せ、と言われるのを聞かずに「なんで愛を伝えるコンサートをやめなきゃいけないんだ」と強行を決意、コンサート2日前に家族もろとも銃撃にあいそれでもひるまずに8万人の前でコンサートをやりました。
それでも政争に巻き込まれた事、ジャマイカの腐敗に嫌気がさした事が原因でジャマイカを離れバンドメンバーを引き連れロンドンに引っ越してきました。
「少し休めば?」との周囲の言葉に「この世界をクソみたいなものにしようとしている奴らが休まないのに俺が休めるか?」と彼は絶対休まなかったそうです、カッコいいですね。
因みにボブと一緒に銃撃されたThe Wailersの元トロンボーン・プレイヤーのビン・ゴードンは今でもヨーロッパに住んでいて僕のバンドのアルバムでトロンボーンを吹いてくれています。
SMILEY & THE UNDERCLASS feat. VIN GORDON
銃撃された当時は19歳だったそうですが彼の話はめちゃくちゃ面白かったです。
話は戻りボブがロンドンに越してきた77年、西ロンドンのセックス・ピストルズやクラッシュの人気に火が付いた年で同じエリアに引っ越してきたボブ達とはレゲェ・パンクのアティチュードに歌の内容も同じですぐに仲良くなったそうです。
これが西ロンドンでパンクとレゲェが愛される理由なんですね。
この間に2年前に取り壊されたサーム・スタジオというところでアルバム「エクソダス」をレコーディング、リリースしてヨーロッパを拠点に活動していた頃、1978年ボブの友人がジャマイカの内戦を終わらせるためにコンサートをやって欲しいとロンドンまで頼みにきたコンサートが「ワン・ラブ・ピース・コンサート」。
ステージ上で狙撃されて殺されるのではないかと言われ誰もが止めたにも関わらず、ジャマイカのためにと出演を決め、2大政党のリーダーをステージに招き大観衆の前で握手をさせた伝説のライブです。
このコンサートの後束の間の平和が流れましたが再びギャング同士の戦いが始まりボブはまた世界ツアーに出て愛する事を歌い続けたった3年後の1981年に死にました。
これほど過激でカッコいいアーティスト、今の世の中にはいませんよね、愛されるはずです。
簡単なボブの生涯の話でした。
どうでも良い話ですがボブが昔住んでいた隠し部屋に連れて行ってもらった事があるのですがボブは風呂に浸かるのが大好きだったらしく恐ろしく深くてデカイ浴槽がある部屋でした。
ロンドンにはブルー・プラークといって青くて丸いボードを歴史的人物が住んでいた家の外壁に貼る事があり、数年前に初めてボブ・マーリーのブルー・プラークがここに設置が決まりそのお祝いパーティーも僕のバーで開催されたのは小さな自慢です。
一枚も写真を撮っていない事、そこでボブが使っていたという杖をもらってバーに置いておいたら気づいた時には盗まれていて家に置いておけば良かった事は激しく後悔しています・・・。
ウガンダのシンガー、ボビ・ワイン
ボビ・ワインというウガンダのスーパースター、大統領選に立候補しましたが数日前に敗れました。
勝った相手は1986年から独裁政権を敷いているムセベニ。
ボビ・ワインはシンガーの頃にイチャモンを付ける兵士にボコボコにされた時、「自分も知り合いがボコられていた時に黙って見ているだけだったなぁ」と思い政治家になって平等な国を作ろうと思ったそうです。
「ゲットーの大統領」と愛され若者から絶大な支持を受けていたにも関わらず、仲間や運転手が殺され、自分自身も幾度となく銃撃を受け、弁護士団すら政府が家を取り囲み会いに来れない始末、選挙運動は妨害されてトレードマークだった赤いベレー帽やユニフォームを禁止されても戦い続ける彼をずっと応援していましたが・・・・選挙で負けてしまいました。
おじいさんが反政府運動で戦死、家は焼き払われ、父親は死刑判決(のち保釈)、それでも政府と戦い続けるミュージシャン・・・真似できませんね。
BBCなどで選挙活動風景が流れているのでぜひチェックして見てください、もう心から応援したくなるような人でした。
これでまた4年間ウガンダでは独裁が続くのでしょうが彼が政治・音楽活動を止めずにいつか大統領になったらもっと良い国になるのだと信じたいと思います。
それで活動をやめないで欲しいという気持ちを込めてこの記事のタイトルに「次期大統領候補」と書きました。
不正選挙
ウガンダのインターネットは数日間政府の命令で切断、選挙当日までそれは延長。
アメリカ大統領選と同じように不正のチェックは一切なく、選挙管理委員会はEUの投票監視の申し出を拒否、ボビ・ワインは「結果は軽蔑に値するもの」と言い去年末には拘束されて抗議する人45人が死んでいます。
トランプのSNS凍結でも世界首脳の中で「これは危険すぎる」と発言したのはドイツのメルケル首相だけでしたね。
他にもタイの王室問題、香港問題、これからは台湾の問題他、人権と自由・平等の最後の砦のような誰もが関心を持つべき事がコロナで霞まないで欲しいなぁ、と思います。
お付き合いありがとうございました
Jay