最強の柔道団体『大日本武徳会』所属元イギリス海軍じいちゃん達

セントラル・ロンドン・ロックダウン風景

54回目の投稿になります。

 

今回は大半が興味のない話題かもしれません・・・。

 

写真はSOHOにあったグラフィティーアートです。

以前の投稿内で載せましたが気に入ったデザインだったのでトップに載せてみました。

 

ロックダウン前に良く行っていたでバーでイギリス人DJがこの曲をプレイすると客は大盛り上がりでした。

正直僕にとってはガールズバンドだけでなくほぼ全ての今のメジャーなJ-popやバンドと比べてこっちの方がずっと格好良いと思います。

JUN MAYUZUMI/BLACK ROOM

 

僕は柔道が好きでして(一応黒帯)、10年ほど前急に柔道がやりたくなり道場を見つけて通っていた事があります。

東ロンドンに住んでいた頃、週に2、3回練習に行っていました。

道場は夜誰も居ない教会に畳を敷き練習するというなかなか面白い所で、ここで僕は日本にとても敬意を抱いているイギリス人の元海軍のおじいさん達に出会いました。

 

元々柔道というのは「戦場で刀が使い物にならなくなった時に侍が素手で戦う時に使用する」武術でした。

昔は天覧試合と言い「天皇陛下の前で国内最強の男二人が日本一を争い戦う」というロマン溢れる戦い」が武道家の最高の晴れ舞台だとされ各日本武道で繰り広げられていたそうですが、今その文化が残っていないのが僕は残念で仕方がありません。

どれほど凄まじい戦いかというと、昔の柔道(戦後すぐまで)は相手の背中を畳に叩きつけ、もしくは押さえ込み、さらには間接を決めて、腰に差してある木製の短剣で相手の喉を掻っ切る仕草をするとようやく「一本」というものでした。

判定も時間切れも無いため柔道の1試合が1時間を超える文字通り死闘が繰り広げられ(オリンピックで1試合5分)、柔道の試合が終わるとなぜか「片目がない」などという壮絶なものでした。

パンチとキックがあったのも頷けます。

そのためGHQが戦後1946年、武道禁止令を出し柔道は禁止されました。

今オリンピックだけでなく、一般に「柔道」として認識されているのは戦後に出来た「講道館柔道」というもので本来の柔道とは少し違いスポーツの要素を多く取り入れたものです。

元々の柔道とは「大日本武徳会」です。

本当の柔道とは

名前だけでも強そうですね。

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた木村政彦という格闘家ですが、天覧試合は当然優勝し15年間無敗、最強の男です。

絶対に負けないように負けたら腹を切ると決めていたため、試合の前日は切腹の練習をしていたそうです。

昔日本には「プロ柔道」があり、すべての禁じ手が「アリ」という見応えがありそうなものですが人気にはなりませんでした。

その後彼の奥さんが病にかかり高額な薬が必要でしたが日本は戦後の貧しい世の中です、彼は自分はプロレスラーとなり異種格闘技戦を求めまずはハワイへ、その後世界を旅し奥さんの元へ帰国することになります。

道中ではグレイシー柔術の始祖エリオ・グレイシーとブラジルで戦い秒殺しているそんな「鬼の木村」も大日本武徳会の柔道で鍛えました。

1895年に初めて柔道団体として組織されたこの団体がGHQに強制解散命令を出された時は1300人が逮捕されたそうです。

柔道の歴史は物凄く興味深い面白いと思うのですが長くなるのでこの辺りでやめておきます。

大日本武徳会

柔道の練習の時は「正面に礼・互いに礼」と礼から練習が始まり、日本では神棚やなにか書き物に対して「正面」といいますがこの道場はヨボヨボの日本人のおじいさんの写真に向かって礼をしていました。

その人は講道館柔道の創始者であり、元々は「大日本武徳会・柔術顧問」嘉納治五郎の写真です。

この柔道場は日本国内で京都のみにしか存在していない武徳会の道場でした。

初めての稽古の後、80歳前後の彼らがいつからなぜ柔道をやっているのかを聞きました。

彼らがまだ10代の少年海兵だった頃、「日本からジゴローという人がジュードーというモノを海兵に紹介しに来る」と集合させられたそうです。

そのジゴローという体重50kgほどにしか見えない袴をはいたおじいさんは若者達の準備運動をニコニコと眺めているだけで「準備の出来た者からかかってこい」とすぐに戦いが始まったそうですが、海兵は誰一人手も足も出ずボコボコにされ、衝撃を受けたその日からずっと「ジゴロー先生」を目指して柔道をやっているとのことです。

 

武徳会の特徴は相手を殺せる位置に持っていく事にあり立ち技よりも寝技に重きを置いており、立ち技と寝技の練習比が2:8くらいで今のスポーツ柔道では考えられません。

この爺さん達には何をしてもビクともせず僕はいつもボコボコにされました(笑)

 

 

僕もあれくらい強いじいちゃんになれるよう筋トレに励み、コロナが終わったらまた一度戦いを挑もうかと思います。

 

お付き合いありがとうございました。

 

Jay