83回目の投稿になります。
ロンドン中心部の中でも東寄りのセントポール大聖堂の近くにある「ミュージアム・オブ・ロンドン」というところでDUB LONDONというレゲェのダブ、サウンドシステムの展示会があり行って来ました。
イギリス、世界でも最も敬意を払われているレコード・ショップのオーナー、DUB VENDERのPAPA FACE(僕はFACEと呼んでいますが)がそこでレコードショップのポップアップストアとDJをやっているというので行ったのですが久しぶりに大きい音で聴くレゲェは最高でした。
レゲェとは関係ありませんがとんでもない奴が多いノッティング・ヒルのエリアで一番信頼できる友人でこのエリアで出会った男の中で多分一番良い男です。
この通称フェイス(彼の苗字がフェイシーなのでフェイスと言われているのですが)は僕にレゲェの事をたくさん教えてくれました。
PAPA FACE、最高のDJです
レゲェオタクのバンドのボーカルと一緒に行きました
彼や地元の人達との生活の中で知った事をこのミュージアムの写真と一緒に紹介していこうかと思います。
ROLAND ALPHONSO/WAY BACK HOME
レゲェの始まりとラスタファリ運動
コロナ対策で広くスペースを取っているので少し待ちましたが奥からレゲェが聞こえてきます、大音量で音楽を聴く機会もなかったので少し感動してしまいました
レゲェはもちろんジャマイカが発祥の音楽で1960年代後半にアメリカから入って来たソウル、ジャズ、RnBなどから影響を受けて1960年代に生まれた音楽で、「ラスタファリ」というのは言わばキリスト教の一部でただエチオピアの王「ハイレ・セラシエ」の称号で、神の化身とされています。
これは1930年に彼がアフリカの最初の王になりアフリカを統一して世界中で差別されている黒人のアフリカ帰還、救世主になるという考えからくるもので彼の王即位前の名前が「ラス・タファリ・マッコウネン」でラスタファリというのは彼の名前が由来です。
ボブ・マーリなどレゲェアーティスト達が「ジャー!ラスタファイライ!」とコンサートで言っているのは「神よ!ラスタ運動を!」と言っているんですね。
因みに1956年、ハイレ・セラシエは戦後日本に来た世界最初の国賓だそうです。
JAMAICAとJAPANというのは世界で唯一JAH、レゲェの世界の「神」から始まる国名でそれだけで日本に好意を持っているジャマイカ人もいるのは面白いですよね。
因みに本当のラスタマンはラブ&ピースという事で無駄な殺生はしないマリファナを愛するベジタリアンで、とても優しい人達ですがロンドンにいるラスタマン達の大半はドラッグ・女・肉が大好きで僕らはバビロン・ラスタと呼んでいます(笑)
展示されていた70年代のロンドンのレゲェのスーパースター達の写真
サウンドシステム・カルチャー
JAH SHAKAのサウンドシステムが展示されていました
サウンドシステムと聞くと大袈裟な印象がありますが、まぁスピーカー、レコードプレーヤー、アンプがあればサイズはどうあれサウンドシステムと言う事ができます。
当時一般の国民が家にサウンドシステムを持つ事など滅多にないジャマイカで、音楽を聴ける場所はバーやパブ、レストランのみでした。
そこで誰もが音楽を聴けるようにサウンドシステムをお店の外に設置するようになったのが現在で言うところのサウンドシステムの始まりで、これがどんどん巨大化しベース・ヘビィになりストリートへと出るとストリート・パーティーという文化も生まれました。
サウンドシステムは必ずと言って良いほど、巨大なスピーカーなどを組むエンジニアとDJ、そしてMCからなるチームになっておりノッティング・ヒル・カーニバルについて以前に書きましたが、街中の普通の住宅地に20から30ほど設置されるのがこのサウンドシステムと呼ばれる物です。
フェイスも20代の頃に友人と4人でお金を何年も貯めサウンドシステムを少しずつ大きくしつつ自分達の名前も大きくしていったそうです。
ダブ・ミュージックとMCの誕生
1960年代、今のDJのようにターンテーブル二つで音楽を流すという発想はまだ無く、一つのターンテーブルで「セレクター」と呼ばれていた今のDJがプレイしていましたが、レコードをひっくり返したりレコードを別の物に変える時に無音になってしまい興ざめしないよう話を始める人達が現れたのが世界で最初のMC達です。
MCとは「Master of Ceremoneis」の略で、ステージ、イベント、会議などのマスター、ホストという事になります。
ここからさらにダブ・ミュージックというレゲェの曲からボーカルを抜き取り(または削り)、インストゥルメンタルにした曲に合わせて話すようになったのがラッパーの始まりでした。
サウンドシステム/セレクター達の写真
レゲェを知らないDJは本物のDJではない
これについてはロンドン、イギリスの有名なハウスやドラムンベース、またはソウルやヒップホップなどのDJ達と話して誰もが言う事なのですが日本のDJの中では「・・・!?」となる人も多いと思います。
前述した通り、昔のアナログなレコードのターンテーブルが進化して音のスピードを変えたり低音・高音のバランスを変え「ミックス」をするようになった時、スローな「ドン・・・チャッ・・・ドン・・・チャッ・・・」というレゲェのダブレコードを早送りして「ドンツ、ドンッ、ドンッ、ドンッ」というようにプレイしたところからハウス・ミュージックなど今現在を代表するクラブミュージックが生まれました。
こういうわけで、ロック・パンク好きがルーツを探ってビートルズやセックスピストルズを聞くように、ハウスDJのような人達もレゲェを聞くんですね。
因みにピップホップに本当に精通しているDJ達はJAZZに滅茶苦茶詳しいというのもイギリスでは当然のことで、両極端に聞こえますがヒップホップのベースというのは昔のジャズから来ているのでロンドンでも最高に格好良いヒップホップのDJというのはJAZZのDJをさせても最高のプレイをしてくれます。
レゲェから始まる音楽の系譜、現在のメインストリームなポップでさえレゲェの影響を受けています
パンク・ロッカーとルーツ・レベルの共通点
パンクと呼ばれる音楽を演奏するものはパンクロッカー、レゲェの場合はルーツ・ロッカー、と呼ばれ正直日本でレゲェアーティストと言われる人達は・・・レゲェを名乗るのもどうかと思います。
レゲェの中でもロックステディ、スカ、ルーツレゲェ、ダンスホール、他のカリブ海諸国にはまたその国々のレゲェにルーツを持つ音楽があったりとまた派生していきますがここでは触れません。
なぜパンクとレゲェが似ているのかというと「社会への不満や政治・体制へ反逆の態度、人々の声を代弁する」という点で同じ音楽なんですね。
そのためパンクロッカーとレゲェのミュージシャン達は大変仲が良く、僕の住んでいる西ロンドンのノッティング・ヒル、ラドブローク・グローブというエリアではセックス・ピストルズやクラッシュのメンバー達がボブ・マーリーはもちろんウェイラーズにデニス・ブラウン達といつもつるんで一緒にマリファナを吸い音楽を聴き演奏していたそうで、今でも街角のカフェで彼らが地元のラスタマンと談笑している光景はとても素敵だと思います。
またの機会にはレゲェと政治、移民、西ロンドンの繋がりについて書こうと思います。
今週木曜から始まる第2回目のイギリスのロックダウンですが・・・・やってられません。
お付き合いありがとうございました
JAY