今回は写真ブログではなく、F1を撮り始めて3年目が終わったところで感じたことを。
ちょっとヘビーな内容かもしれないので、気持ちの落ちやすい人はここでやめておいた方がいいかもしれません・・・。
3年目のシーズンが終わって
まだまだペーペーもいいところで、正直、写真歴も全然長くない自分がこんな風にF1速報からパスを下ろして頂き、F1サーカスを追いかけて3年、フォトグラファーをしていなければ絶対に行かなかったであろう国にもいくつか行くことが出来ました。
ほとんどの国には自分が住んでいるロンドンから向かうので、ヨーロッパ内の移動、特にイタリアやスペインなんかは北海道と東京の往復より安く、ベルギー、オランダ、イギリスGPは自分の家から車で行けるのでカツカツのギリギリ(むしろマイナスかも)で回っていますが、撮影も旅も最高に楽しく、仲の良い友達も出来てこの世界には感謝しかありません。
これから何年続けることが出来るかはわかりませんが可能な限り撮影を続けたいと思いますし、まだまだ行ったことのないサーキットもあるのでこれから先も楽しみです(金欠により来年はグランプリに行く回数は今年より減りそうですが・・・涙)。
とにかくまぁ、Netflixのお陰で、大嫌いだったスポーツが大好きになったわけです。
でも中に入って想像通りだった残念なこともたくさんあり、今回はそんな事を書いていこうかと思います。
F1の闇と理不尽
サスティナブル(持続性)、ダイバーシティ(多様性)を謳っていますが、正直全然意味がわかりません。
めちゃくちゃな移動スケジュールで構成されているグランプリのカレンダー、特に、来年のシーズン開幕前のテストはバーレーンですが、開幕戦もそこでやるなら確かに「サスティナブル」も理解出来ますが、開幕戦はオーストラリアに決定していて、Round 4のバーレーンには日本グランプリの後にまたいくことになります(僕は来年のテストはお金がなくて行きません)。
中で話を聞いてみても、チームのスタッフなども当然「なんでバルセロナじゃねーんだよ」と文句を言うに決まってますよね。
なぜバーレーンかというと、「金」です、サーキット側がやって欲しいモンだからF1に金払ってるんですよね、意味がわかりません、所詮金か、と。
他にモーターホームや、ホスピタリティ・スイート、各チームがヨーロッパ中をトラックを走らせてパドックに設置しますが、これも俺には意味がわかりません。
こちらはスペインのパドック、モーターホーム、ホスピタリティ・スイートが並びます
中東のようにそれらを建設してしまうか、日本(鈴鹿のプレハブみたいなの)のような臨時の物でもいいと思いますし、無駄は省けると思います。
確かにヨーロッパのパドックの方が豪華かもしれませんが、常設した方が絶対サスティナブルですよね、でも何百万もするチケットを買った客をもてなすのに豪華さが必要、とでも言いたいんでしょうか・・・? それとも伝統・・・・?
中東のレースなど、日曜以外のグランド・スタンドはガラガラ、どう見ても成り立ってないように見えますけど、中東は今サッカーも含め、スポーツを金で誘致して政治の悪い部分を覆い隠す道具として使っているのは誰もが知っている事です。
国の宣伝のために誘致しているバーレーン、アゼルバイジャン、アブダビ、サウジ、カタールなど、F1が無ければおそらくその国の名前すら生活の中で聞くことがないところもあるでしょう。
サーキットがF1にお金を払って誘致するので、「チケットの売り上げなんぞ知ったこっちゃない」、というのがF1で、一方、100万円以上(今は為替で200万くらい・・・)するパドック・クラブやF1エクスペリエンスの高額チケットの売り上げのみF1が管理しているのでそこだけ売れれば良いそうです、これはF1スタッフから直接タバコを吸いながら聞いた話ですが、彼も「イカれてるだろ?」と言っていました。
サッカーのカタール・ワールドカップなど2011年にワールドカップをホストすることが決まってから2020年の間に、6500人のバングラデシュ、ネパール、スリランカ、インドからの労働者が死んだ、という事実。
これにはケニアと元々カタールに居た移民は含まれておらず、本当の数はさらに多く、新しい空港、7つのスタジアム、公共交通機関、ホテル建設のための犠牲者たちです。
こういう事実がある時点で、僕はもうW杯やオリンピックなど、正直この世から消えて無くなった方が良いんじゃないかと思ってます、こき使われ、人知れず死んでいく人達がいる上で成り立つスポーツなんて、本当に必要なのか、と。
俺は、感動できません。
今シーズンの締めくくり、アブダビのあるUAEなんかは恐ろしいことに、労働者に対する「法律に則った最低賃金がない」んですね。
雇い主が好きな金額を払えば良いんです。
なぜサーキットを作ったり巨体な建設が出来るかというと、奴隷が一日千円とかで何万人も働くから可能なんですよね、おかしくないですか?
そこまでしてスポーツをする意味があるのか、と。
奴隷ですよ。
大きな声で誰も言いませんが、明らかに奴隷は存在していて、そこに目を向けない金持ちがそこでスポーツをしているんです。
他にしつこいほど言っているダイバーシティ(多様性)、これも僕には全くしっくり来ていません。
これ、女性と黒人をもっと関わらせろ、という意味で言っているのかな?と僕は解釈しているんですが、アジア人差別は当然のように存在し、フォトグラファーなんかも「イギリス人のフォトグラファー以外いらねぇんだよ」という考えをしている人もいます。
音楽をやっていた時にそんな事を言われたら、下手すると血の気の多かった20代の頃だと殴り合いになっていたかも知れませんね(笑)
今年でシートを失った中国人ドライバーのゾゥ・グワンユーも「F1の中にいて、皆んなに歓迎されてる、と感じたことはなかった」とインタビューで言っていましたが、「そうだろうなぁ」と思いますし、そうやって心の内を正直に言ってくれて個人的には嬉しく感じました。
今まで音楽業界に居た時は、ライブハウスやフェスティバルの楽屋なんかでも他のミュージシャンとは一瞬で仲良くなり「今度一緒にライブしようぜ」「お前らのプレイ楽しみにしてるよ」などフレンドリーな人間しか本当に見てこなかったので、F1の世界に入って正直愕然としたと同時に、悲しかったのが本音です、未だにこんな世界があるのか、と。
まぁ、きっとその業界で関わる人間性が違うんでしょうね、アーティストは視野の広い良い奴が多い、ということでしょうか。
ミュージシャンとしてヨーロッパ中でライブをしていた時、ロンドンを含め各地で差別をされたことなど、本当に、ただの一度もありませんでした。
とにかく、F1という世界に期待と憧れを持っていただけに、残念でした、まぁ、負けませんが。
発展途上国で開催するという事
F1のチケットと国民の平均収入に最も開きのある国、発展途上国と言われているアゼルバイジャンの国民の平均給料は「500ドル」です。
興味持ったところで何も出来ない人がほとんどなのですから、そりゃあ国民はF1が来ようがどうでも良いですよね。
ブラジルも同じです、この間初めて行きましたが、リオ・デ・ジャネイロにはOTT(Onde Tem Tiroteio-どこで銃撃戦がやってるか-)という、銃撃戦をやっているエリアを避けて出かけるためのスマホアプリがあって、そんな国でF1をやる前に、他にお金使ってやるべきことが腐るほどあるのでは?と正直思ってしまいます。
サーキットからファベーラ(スラム街)も見えちゃいますしね。
パドックでシャンパンを飲みステーキやキャビアを食べている金持ちがいるすぐそばで、ボロボロの家に住むスラムの人達はF1の車が走る音だけを聞いているんです。
僕は23年間イギリスに住んでいますが、貧富の格差が広く、様々な場面を見て、経験し、やっていた音楽も政治的なバンドだったんでこういうところの感度が高くなってしまったんです。
日本で過ごしているだけでは絶対目にしない、強烈な現実があるんですね、これを知ってしまったのは幸か不幸か、僕自身は良いことだと思っているんですけどね。
ところで沖縄の人には申し訳ありませんが、去年初めて沖縄本島に行った時に、貧困が余りにも僕の目には目立ってしまったんですね、日本なのに意外でした。
今年ロンドンで友人の紹介で沖縄出身の女の子と飲むことがあって、「初めてこないだ沖縄に行ったんだよね」というと感想を聞かれて、「沖縄がどれだけ問題を抱えてるかを感じすぎて、地元の人を無視してそこで浮かれてる観光客の一部になりたくないし、見るもの辛いから、正直もう行かないかな」というと、家庭内暴力、無職、アル中率が日本一位だそうで、「そういう視点を持っている人がいるのがわかってちょっと感動した」と言われました。
もちろん仕事であればどこでも行きたいし、行きますけれども、こんな理由で来年、自分のポケットからお金を絞り出してアゼルバイジャンへはもう行こうと思いません(誰か仕事で行かせてください笑)。
と言いつつも、F1の年間パスを保持するためには14レースに行かないといけないので、安い国だからやっぱり行くかもしれませんが・・・(笑)
ほんと、もちろん自分含め、人間って理不尽な生き物ですね。
こういうところを見て、長くやっているメディアの中ではハッキリと「だって、これはスポーツじゃなくてエンターテイメントだもん」という人もいますが、俺にはまだわかりません。
毎日戦って生きている人達からすれば、俺がこうやってフォトグラファーとして旅をし、今日本というこの平和な国でブログを書いていられること自体が世界の99%以上の人達よりも幸せなことだとはわかっていても、心で感じてしまうことはどうしようもないし、そういう部分があることを知った上でF1を楽しんで欲しいと思い今回は書いてみました。
世の中、「ミュージシャンは音楽だけやってりゃ良いんだよ」「フォトグラファーは写真だけ撮ってりゃ良いんだよ」なんていう人もいますが、これほど残念な視点はありません。
ボブ・マーリーやジョン・レノンが愛と政治を歌わなかったら、ロバート・キャパが戦場フォトグラファーじゃなかったら、どうでしょう?
ピカソが、ゲルニカを描いていなくても後世での評価は同じだったでしょうか?
今の時代を生きる自分たちだから言えること、感じられることがあると思いますし、大量生産され無意味に消費されていくJ-POPのようにはなりたくありません。
最後に、色んな側面があっても、それでも俺はF1が大好きですし、これからも可能であれば追いかけ続け、もっと良い写真を撮れるように頑張っていきたいと思います、色々書きましたが、良い人たちは当然いますし、仲の良い友達もできましたしね。
次回は明るい話題に変え、今年撮ったお気に入りの写真について書いてこうかと思います。
お付き合いありがとうございました
Jay