「ただの、BLUES BAR」

17回目の投稿です。

 

 

この写真は西ロンドンのバーで僕のバンドのボーカルがレコードをかけているところです。

 

毎週木曜はジャズ、日曜日はレゲェが目当てでバンドのメンバー4人がいつもここで集まっていました。

ライブやツアーで年間で100日近く顔を合わせるにも関わらず毎週バンド活動以外でここまで顔を合わせるバンドは珍しいと思いますが、仲の良いバンドメンバーに恵まれて幸せです。

 

ここは僕らの「行きつけのバー」ですね。

 

 

皆さんも良く行くお気に入りの、もしくは思い出のカフェ、レストラン、バーなどがあると思います。

 

 

 

今はもう何年も行っていませんが昔行きつけだった「Ain’t Nothing But Blues Bar」という毎日違うブルース・バンドが演奏をしているバーがあります。

ロンドンのミュージシャンに「ブルース・バー」と言うとまずここを思い浮かべると言うほど有名なバーです。

 

店名は「It Ain’t Nothing But Blues Bar」の「It」を省略して格好良くしてるんですね。

「Ain’t」というのは「is not」「am not」「are not」を省略したもので「It ain’t nothing but ○○」とは「なんでもないけど〇〇」という意味になります。

 

ですのでこの店名の意味は「ただのブルース・バー」と訳せると思います。

80人も入れば身動きが取れないほどなのに拘らず月曜の夜から入場を待つ人が列を作っているこのバーでは毎日こんな音楽が演奏されていました。

 

このロンドン中心部オックスフォード・サーカスの裏道にある小さな「ただのブルース・バー」に初めて行ったのはロンドンに来てすぐ、18歳の時でした。

 

毎週月曜日がジャム・セッションの日で紙に名前を書くと適当に「ボス」に名前を呼ばれて恐ろしく狭いステージでシンガー、ギター、ベース、ドラム、キーボード、ハーモニカ、サックスなどで即興で演奏をします。

 

内装も凄く格好良くてドアを開けるとそこはもう昔の映画の中のアメリカのような雰囲気、上手くて格好良いミュージシャン達、18歳の僕が受けた衝撃は強烈なものでした。

 

すぐにジャム・セッションに参加しましたが足は震えていたような気がします(笑)

 

当然毎週通うようになり年齢層20代から70代とたくさんのミュージシャンたちに音楽のことから生き方まで色々なアドバイスをしてもらいました。

 

15年ほど前ですがなぜがここは日本人のミュージシャンが集まっていました。

その頃の仲間達の中で現在も馬鹿の一つ覚えのように音楽をやっているのは僕だけなのは正直少し寂しいです。

 

 

 

昔からずっと3人で仲が良い一人で「タカモト」という友人がいます。

 

彼はブルースとレゲェが大好きなギタリストでジャム・セッションに毎週のように通っていました。

 

 

初めてギターで参加した日、ギターソロが回ってきた彼は緊張もあり上手く弾けませんでした。

 

ここは流石イギリス、ジャム・セッションを仕切っている「ボス」が彼のギターのコードをアンプから引き抜きました。

他にもあまりに聴くに耐えないとジャム・セッションでも途中でストップさせられる事もあります。

 

 

彼は途中でステージを降りるわけにも行かず、音の出ないギターを曲が終わるまで弾き続けました。

 

 

「もう来ないかもしれないな」と頭をよぎりましたが彼は「アイツに認めさせるまで毎週通う」と言い、3ヶ月後には「最高だったぜ、タカ」と「ボス」に言われるほどになりました。

彼が喜んでいたのを忘れられませんが僕も嬉しかったのを覚えています。

 

僕が19歳、彼が20歳の時です。

 

「ボス」というのはこのイアンという人で僕らは彼に認めてもらうのに必死でした(笑)

 

 

 

彼はその後日本へ帰国し東京で音楽活動をやったりと色々な事を経て、現在は結婚し家庭を持ち地元静岡でこちらの2件のラーメン屋さんを経営しつつ音楽も続けています。

 

 

彼のような男が作った食事は間違いなく美味しいはずなので是非近くの方がいたらテイクアウトもやっていて今でもオープンしているようなので食べてみて下さい。

 

僕もコロナが終わったら食べに行って一緒に音を鳴らしたいと思います。

 

 

 

もう一人、同じく今も仲の良い「ユウキ」という友人がいます。

 

彼とは初めて出会った場所もブルース・バーでした。

 

「ユウキお前年いくつ?」

 

「20歳。Jayは幾つなの?」

 

「俺19歳。」

 

「はぁ!?なんで年下でそんな偉そうなの!?」

 

という初めて出会った時の会話を今でも一緒に飲むと思い出して笑います(笑)

 

彼には僕がホームレスの頃に家に何日も泊めてもらったり、2005年にロンドンでテロがあり僕らの家の近くの地下鉄駅とバスが爆破された時も一緒に見物に行きました。

 

 

初めて会った時に「大学外国語学部」をやめて「ボーカル」になりにロンドンに来たと聞いた時には心の中で「ああ馬鹿なんだな」と思いました。

 

その後彼が日本への帰国を決め、たくさんの選択肢があった中で「ブルース・バーの店員が格好良かったからバーテンダーになってみる」と言った時も失礼ですが「やっぱり馬鹿なんだな」と思いました。

 

なぜかスペインのアンダルシア地方をギターの弾き語りをしながら旅した後に日本に帰国しました。

スペインバルの前で弾き語っていたら「うるせぇな家で練習してからやれ!」と怒鳴られたと連絡が来たのを覚えています(笑)

 

 

その後才能を開花させバーテンダーとして実力、実績を上げてカナダのトロントのバーに引き抜かれ現地のカクテルのコンテストでいくつも優勝し雑誌にも載るようになっていた彼に物凄く刺激されました。

 

そして楽しみにしていた久し振りの再会時「バーテンは辞めてビターズを作って売る」と宣言され「そうだ馬鹿だったんだ」と思い出しました。

ビターズはカクテルを作る時に数滴垂らすやつです。

 

 

 

それから数年経った今、夢を実現した彼のビターズ、JAPANESE BITTERSがこちらです。

 

オンラインで自宅にも届けられるそうなので是非購入してみて下さい、僕も凄く美味しいと思います。

 

世界で初めて日本の食材を使い自分の手で作ったビターズを持って世界中を飛びまわっており、ロンドンでも最高のバーと言われるようなお店に彼の作ったビターズが置いてあります。

 

 

彼はせっかくロンドンに出張で4日間も滞在するのに1日しか一緒に遊んでくれないほど忙くビターズも人気があり、彼はもしかしたら日本を代表するようになる事業を作ったんじゃないかと思います。

 

もう馬鹿なんて言えませんね(笑)

 

 

今全く違う業界にいる3人ですが「ただのブルース・バー」から始まった今でも大切な繋がりです。

 

誰にとってもこういう思い出のお店とは無くなると寂しいものです。

 

みんなで支え合ってこの状況を乗り越えましょう。

 

僕も彼らと緊急事態宣言で家にいるのを良い機会に、今まで数年連絡を取らない事もありましたが現在は以前より頻繁に連絡を取り合っています。

 

 

これを機会に皆さんも何年も会ってない友人に連絡をしてみてはどうでしょうか?

 

 

お付き合いありがとうございました。

 

 

 

Jay